今は、エスファハンにいます。


http://www.dokonano.com/istanbul


書きたいことが多すぎて、何から書けばいいのか。

とりあえず、この街は大好きです。

前半の旅も含めて、間違いなくTOP5に入る街です。


「世界の半分」といわれた古都。

その名前を裏切らない美しさがあります。


エマーム広場にあるいくつかのモスクは、

筆舌に尽くしがたいほど美しい。

写真でも伝わりきらない。


イスラム教では、偶像崇拝が禁止されているので、

モザイク模様が発達して、またそれを活かす建築様式が発達した。


精密なモザイク装飾と卓越した建築技術には圧倒される。

曲面天井、アーチ、練乳石飾り、メナーレ(尖塔)・・・

書き出すときりがないけど、どこを見ても、

当時のイラン人の洗礼された美の感覚に驚かされる。



↓ 練乳石飾り



↓ ドーム型天井を下から見上げた写真



↓ 夜のモスク





前の記事にも書いたが、ここはイスラム一色。

あらゆるところで、イスラムの規律を目の当たりにする。

たとえば、市内バスでは、必ず男性は前、女性は後ろに座る。

(したがって、前はむさい・・・><)

肌の露出は、禁物。

女性は、頭にヘジャーブ(スカーフのようなもの)を被らなくてはいけない。

それは外国人も例外ではない。

男も、半ズボンは、はけません。

街を歩いていると、コーランの一説がスピーカーで流れる。



ここは、石油大国であることも実感させられる。

ガソリンは、1リットルなんと、、、、9円!

したがって、バスの運賃などは激安い。

8時間の長距離バスで、250円くらい。笑

石油で潤っているのか、貧富の差はそれほど感じない。

物乞いもいないし、町はきれいに整備されている。


一方で、今の国際情勢を肌で感じる場面も少なくない。

今日は、街では大規模な、反米・反イスラエルデモが行われた。

アメリカの旗が、焼かれる。

街中では、ユダヤ教の「ダビデの星」を焼いているポスターを

頻繁に見かける。



しかし、その過激とも思われる政治色とは裏腹に、

イラン人は、本当に紳士的で、親切だ。

この国に危険なイメージが付きまとうのが、本当に残念だ。


最後に、このエスファハンの安宿で、

素敵な出会いがあった。


上田さん。

彼は、なんと、70歳!!

僕たちと同じように安宿に泊まりながら、

夜行バスなどに乗りながら、一人旅をしている。

もう20年間もの間、毎年2回くらい、1カ月ほどの旅をしているという。

そのバイタリィティと旺盛な好奇心には、脱帽です。

それにしても、本当に若い。

趣味を持つことが、若さの秘訣だとか。

彼は、写真をこよなく愛する人だ。

自分もこんなに素敵なおじいさんになれればいいなぁ と思う。



おまけに、、、、

水パイプに挑戦。

オレンジ味の水蒸気を吸っている感じだった。笑



イランへ無事に着きました。

ムンバイ経由で IRAN AIR に乗ったのですが、

イランに着く前からイランらしさを感じた。


まずは、フライトを待っている時のこと。

日没になり、空港のロビーで同じフライトを待っている

他のイラン人たちが、メッカの方を向いて、一斉にイスラムのお祈りを始めた。

空港のロビーで。

すごい新鮮な光景だった。


そして、飛行機に乗り、離陸前のこと。

画面で、コーランの一説が流れる。

そう、日本代表がイランで試合をしたときに、

球技場で流れたアレです。


イランは、イスラム一色です。

正式な国名も、「イラン イスラム共和国」ですから。

よく考えたら、国名に宗教名が入るなんてすごいことですよね。


例えば、日本神道国  日本仏教国 みたいなことだから。

日本じゃ想像できない。「神の国」と言っただけで、

ぼこぼこに批判されるくらいだしね。 笑


ここイランは親日派が多いと聞いていたけど、本当にそうだ。

空港でいきなりそれを感じた。


昨日もまた深夜に空港に到着した。

かなりびびってたけど、同じフライトだったイラン人のおっさんが
親切にしてくれて、ホテルまで一緒にTAXIで行ってくれた。
しかもタクシー代も全部払ってくれた!!

みんな、ホントに親切です。

この国を「悪の枢軸」と言い放ったのは、どこの国だぁ!?

なんかすごくイランが好きになりそうな予感です☆


ちなみに、今はラマダーン中で、断食中です。

人前で水を飲む事も許されないようで、

トイレでこっそりと水を取り出して飲んでます。 笑

自由に飲めない、食べれないってのは、

予想以上に大変です。


今日の夜行で、エスファハーンに向かいます。

「世界の半分」と言われた古都で、

この後半の旅のハイライトに一つです!


今はデリーにいます。


ここもまた、混乱と喧騒の街だ。

大気汚染が凄い・・・

のどが痛い

宿で洗濯をしている時、、、

一日来ていたTシャツを水につけると、水が真っ黒に・・・・


下の写真は、デリーにある大きなモスク。

そう、インドにもイスラム教徒が結構いるのです。

ムガル帝国はムスリム国家だったので、その名残です。




実はジャイプールで、

敦煌で一緒だったケンさんとメグさんにばったり遭遇!

(陽子さん、見てますかぁー?)

デリーで再会を約束し、昨日、デリーの居酒屋で

久しぶりのビールを飲んだぁ。

いやぁ世の中、広いようで狭いですねぇ。

なんかすごいいい感じのカップルです☆




旅のルートについて。

本来なら、ここから北のアムリットサルというシーク教の聖地へ行き、

そこからパキスタンへと国境を越えるはずだったのが、

今月の地震で、そのルートは厳しくなりました。


パキスタンでは、北のフンザという地域に行こうと

楽しみにしていた。ここは、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」

モデルになったといわれる風景や町並みがあって、

そこで、静かにのんびりとするのが実は今回の旅のハイライトの一つだった。

しかし、そこに行くためにはイスラマバードなど地震が直撃した場所を

通ることになり、それはしたくないなと思って、イランへ飛ぶ事にした。

何万人が命を失ったの場所を観光目的で行くのも

不謹慎だと思うし、

かといってボランティアができるほどの時間も自信もないし。

それと、何百万人が家を失ったという事で、おそらく

危険な状態になっているだろうと。

自然災害がおきると、大抵の場合、治安が悪くなりますよね。


ってことで、明日、ムンバイ経由でイランの首都、テヘランへ飛びます。

今は、イスラム圏はラマダーンらしいので、今夜は

数週間分のビールを蓄えようかな、と。



最後に、

デリーの街中で仲良くなったおっさん。

まじいい人だった。

独特な味を持っていた。

彼は親切にいろいろと教えてくれた上に、

チャイもおごってくれた。



「23歳なのに、なんでまだ結婚してないんだ?

女にアプローチするのが、怖いのか?」


と真剣に心配されました。 笑




今は、インドの首都、デリーにいます。


ウダイプールで2日間過ごし、そこから夜行でデリーに来ました。


ウダイプールは、最高だった!!

間違いなくインドで一番好きな街です。


大きな湖が街の中心にあり、その辺に大きな宮殿がそびえ立ち、

湖の真ん中に、まるで水面に浮かんで見えるようなお城が建っている。

ガイドブックいわく、ラジャスタン地方で、「一番ロマンチックな街」

(写真は全てクリックすれば、拡大できます)





確かに夜に、城や宮殿がライトアップされ、それが水面に反射すると

とてもきれいでした。



ここは、007 の 「Octapussy」 の撮影にも使われた場所で、

ここの人たちは相当それが嬉しかったのか、今でも

レストランに行けば、それが上映されています。

見てきました。


ジェームズ ボンド。 


やっぱ、すげー。


何がすごいって、、、、


ヘリコプターでタージマハル上空を通過し、

なんとバナラスのガンジス川にヘリコプターで上陸

沐浴している人たちの横を白いタキシードで歩いて通り、

そこからリキシャに乗る。

そしてその数分後には、ウダイプールに到着

オイラは、合計で30時間くらいかけて来たのに・・・


そしてこのリキシャも例の秘密兵器で、

飛ぶは、ウィーリーするはで、敵も圧倒されっぱなし。


ウダイプールで部屋をシェアしていたイスラエル人のイツィックと見に行ったのだが、

二人ともびっくりの連続。


そう、

ウダイプールはイスラエル人のイツィック(31歳)と一緒だった。

たまたま同じ電車で、部屋をシェアすることにした。

今までイスラエル人と話す機会はあったが、

2人で部屋をシェアして、一緒に旅するのは初めてだった。


語弊を恐れず書くと、

イスラエル人は、他の旅人からも現地の人からも嫌われている、

敬遠されている場合が多いです。

それは偏見に基づいたものではなくて、

イスラエル人の若者の多くは、集団で固まって行動し、

マナーが極めて悪いのです。あるいはよく他の旅人と口論や喧嘩になる。

彼らは、高校で一方的な教育を受け、軍役を経てから

旅をする人がほとんどらしい。

彼らのわがままな行動は、東南アジアでもよく目の当たりにしたし、

結構旅をしていると目にしてしまうのです。

そういう理由で、彼らは好かれていない。 

「イスラエル人禁止」 と書かれた宿を目にしたことも一度だけでありません。

これが、現状のようです。


自分も正直言って、あまり好感は持っていなかった。


イツィックと旅するまでは。


彼はほんとに紳士で、現地の人へのリスペクトもあるし、

何よりすごい気が利いて、話も面白く、一緒に旅しててホントに楽しかった。


イスラエルの歴史、中東問題、ユダヤ教について・・・いろんな議論が出来て、

ホントにためになった。


たとえば、、、

ユダヤ教では、

肉とチーズを一緒に食べる場合は、数時間間隔をおかなくていけないとか、

肉は完全に血を抜いてから食べないといけないとか、

髭は剃ってはいけないとか・・・・・

様々な厳しい規律があるらしい。


チーズバーガーが大好きで、髭が濃い自分は、

ユダヤ教は絶対に無理だなと確信 笑


俺の旅のルートの話になり、

この後はイランやシリアに行くと言うと、

彼は寂しそうに、


「イランとシリアか、いいなぁ」  と、ボソッと口にした。


そう、イスラエル人は、これらの国の入国は拒否されるのだ。


シリアビザの申請用紙には、

[Have you visited Occupied Palestine?] という項目がある。

Israel と書かずに、わざわざ Occupied Palestine (占領されたパレスチナ)と書いてある

ことに驚かされます。もちろんこの項目に YES とかくと、シリアビザは取得できません。

シリアやイランやパキスタンなどのイスラム国家は、紛争の歴史から、

イスラエルの存在自体を認めていなくて、

従ってイスラエル人はこれらの国には入国を拒否される。


イツィックは、あらゆる文化に興味を持っていて、

もちろんイスラム文化やイスラム教にも興味がある。


しかし、

イスラエル人というだけで、

それらの国々に旅が出来ない。


そして何かと他の国籍の人から、嫌われたり、

敬遠されると言った。

もちろん彼も、イスラエル人の若者の

マナーの無さは嘆いていた。


「部屋をシェアしないか?」

と聞いた時、俺があまりにもアッサリと OKしたから、

彼は驚いたという。きっと拒否されたこともあったのだろう・・・

こんなにいい人なのに、

生まれた国によって、ここま違う待遇を受けてしまう。

それはただイスラエル人の若者のマナーの悪さから

派生するものでは無いと思う。

やはり、イスラエルの歴史が脳裏にあるのだろう。


「イスラエル人禁止」のサインを見た彼はなんて思っただろう?


別れ際に、「いつかイランやシリアを自由に旅できる日が来るといいね」

といって、抱きあった後、お別れした。


この人とは、またどこかで会って話したい。

そういう未練を残しながらウダイプールを去ってきた。



今はデリーの喧騒と混乱の中で、

インド脱出を計画しています。

パキスタンは飛ばし、イランへ飛びます。


おまけに、ウダイプールに沈む夕日を眺める勘違い男の写真 ↓


今は、ラジャスタン地方のジャイプールという街にいます。

バナラスを夜行列車で出発し、朝にアグラ(タージマハルのある街)に到着し(12時間)、

一日で観光を済ませ、同じ日にジャイプールへのバスに乗った(6時間)。


タージ マハルを見てきた。

そう、必ずと言っていいほど歴史の教科書に載っているアレです。

早朝にアグラに着いたので、混む前に行けたのが幸いでした。

インドの強い日差しの下で、タージマハルは、一層に白く輝いていました。




それにしても、これを一人の女性のために建ててしまうのだから、びっくりです。 

タージ マハル(人物名)とは、ムガル帝国の第4代皇帝シャージャハーン第二の妻で、

彼が彼女の死を偲んで建てたお墓です。 世界一美しい墓といわれています。

たしかに、美しいです。


(こんなアホなことをすると、台無しですね・・・)



ちなみに、このシャージャハーンは、晩年に、息子のアウラングゼーブ

アグラ城に幽閉され、生涯、死ぬまでアグラ城からタージマハルを眺めていたらしいです。

にしても、なんて切ないんでしょう・・・


でも、一番切ないのは、シャージャハーンの第一の妻ではないでしょうか?


え?! 私の墓は?   みたいな。


実は、

アグラで、イケてるリキシャ運転手にめぐり合いました。

アグラ駅を降りると、何人もの男に囲まれ、


「タージマハルまで俺のリキシャに乗れ」


 としつこく迫ってくる。

そのほとんど、100ルピーや120ルピーと

法外な金額を吹っかけてくる。


その中で、一人のじいさんが、


「20ルピーでどうだ? 乗るか、乗らないか?」

と適切な値段を最初から言ってきた。


その直球勝負に魅せられ、

快諾し、彼に運転してもらうことに。


彼は、51歳で、一日、アグラ観光に付き合ってくれた。

昼は、時間があったので、一緒に飯を食いにいった。


英語が流暢にしゃべれたので、いろいろ話し合った。

そこで、俺は前回の記事でも書いた不満を

彼にぶつけた。


なんで、インド人の多くは、敬虔なヒンドゥー教徒なのに、

人を騙して金を巻き上げるのだ?

と聞いた。


彼は、


「いいか、よく聞け。

インド人の多くは、宗教どうこうの前に、金が欲しいんだ。

したがって、外国人からできるだけ多くの金を巻き上げようとする。

それが、根底にあるメンタリティだ。そこには、宗教は関係ない。

もちろん、そうしなくてはいけない背景には、貧困があり、

自分を貧困から脱出させるためには、人を騙してでも

そうしたいのだ。

そこで、毎日毎日そういう生活をしているから、

死後の世界や天命が怖くなって、宗教に救いの手を求めるのだ」

といった。


「そんなの宗教ではないじゃないか!

単なる、自己満足に過ぎないじゃないか」


というと、


「そうだ、だから俺は宗教は信じない。」


ときっぱり言われた。


もちろん、彼の意見だけでは何も分からない。

でもインドを旅してて、彼の言っていることに

本当に納得できてしまう。


自分は、まったく逆だと思っていた。

つまり、宗教が根底にあり、それにも関わらず、人を騙すのだと。


むしろ逆だった。

根底にあるのは、金への執着心と

その背景にある貧困だった。


このおっちゃん、昼からウィスキー飲みまくっているけど、

(その後も運転していたのに・・・)

妙に説得力がある。



まぁ、そんなこんなで、今はジャイプール という街にいる。

日本のインド大使館に行ったときに、ジャイプールの街のポスターが貼ってあり、

それを興味深く見ていたら、インド人の職員に、


ジャイプールは、ピンク シティ と呼ばれ、

町中の建物がピンクで、

一年中、バラの香りで街が覆われているんだぞ

と自慢げに語られた。

その時は、「そんなエキゾチックな街があるんだ!!」 と興奮していた。



実際に来て見ると、、、、


ピンクな建物はごくわずかで、

バラどころか、埃でのどが痛くなってます。 笑

相変わらず混乱と喧騒の街です。


次のウダイプールはもっと静かできれいな街らしいので、

そこは楽しみです☆

007の「オクトパシー」の舞台になった場所です。


読者のみなさん、いつも読んでくれてありがとうございます!

なんと、毎日70人から80人がこれを読んでくれているらしいです。

(管理者のページに訪問者数が書いてある。)


これからもよろしくです!!  m(_ _)m 



最後に、


コブラ使いに 挑戦しました。 


コブラ微動だにせず。 笑





今は、ヒンドゥー教の聖地、バラナスにいます。


インド・・・・


この国は、今まで旅してきた国の中で、

間違いなく一番ストレスの溜まる国です。


とにかく暑い。

そして人が多いのが、その暑さを助長する。

このバラナスの町は、牛と人(!?)のウンコだらけ。

道のど真ん中にウンコがそこらじゅうにあるため、

ウンコで道が滑る。


そしてインドの食事に逃げ場がない。

カレー系のものばっかりで、まだ5日しか経っていないが、

もううんざり。

インドの洗礼も受けている。ひどい下痢だ。

下痢で、食事はカレー。

出したものをまた食っている錯覚に陥ってしまう。

(食事後の人は、ごめんね ><)


町を歩けば、


「リキシャに乗らないか?」

「ボートに乗らないか?」

「はっぱ、吸うか?」

「うちのホテルに泊まらないか?」

 

と客引きの奴らが、5人単位で群がってきて

服を引っ張るわ、どさくさに紛れてポケットに手を入れてくるわ。

「N0!!!」 と何回断っても、執拗についてきて、

何度も同じ質問をする。


親切にしてくれる人の大半は、最後は金目当てで、

もううんざりしてくる。


それに加えて、乞食が本当に多い。

横を通るたびに、「カネをくれ、カネをくれ」

とすがり付いてくる。


町中は、車のクラクションが鳴り響き、

人が怒鳴りあっていて、埃の嵐だ。

牛が道のど真ん中に居座り、交通は混乱を極めるばかりだ。



とどめに、頻繁に停電になるため、

各ホテル、店は自ら発電機を働かせ、

それがマシンガンのような爆音を放つ。


すりや詐欺も多く、常に神経をはっていなくてはだめで、

ストレスで爆発しそうになるのを、

これもこの国の文化だと言い聞かせ、

なんとか自分を抑えている毎日のような気がする。


バナラス・・・


ここは、ガンジス川沿いの町で、

ヒンドゥー教の聖地だ。


↓  ガンジス川に浮かぶ朝日は、

   東南アジアや中国やチベットで見てきた

   朝日とはまた一味違った。

 


ガンジス川自体が信仰の対象で、

インド中から来るヒンドゥー教徒がここで沐浴し、

祈りをささげる。 



それだけではない。

ガンジス川は、すべてを流してくれる。

火葬場があり、そこで毎日何百体という死体が焼かれ、

その灰が川へと流される。

高僧は、焼かずに岩を縛りつけて、そのまま川へ流す。

そのために、時々、死体が川を流れているのが見られる。


その下流で

人々は洗濯をし、体を洗い、歯を磨き、トイレまでも済ませる。

(ちなみに、ガンジス川の汚染状態をWHOが調べたところ、

その汚染度は、通常の数百倍らしい。)




夜火葬場へ行き、炎炎と燃える死体を何対も見てきた。

流れ作業のように、次々と死体が焼かれているのを見て、

人生の儚さを痛感した。

自分はいずれも灰に消えていくんだと。


カルカタでの生贄とここで見る数々の死体を目の当たりにして、

「死」を間近で見てきた。


不思議と、「死」 に触れると、 「生」 について考えさせられる。

俺は 「生」 に対する恐ろしいほどの執着を感じた。

死にたくないな、と。


まだ5日だが、どうしても納得いかないことがある。

こんなにも宗教に自分の身を捧げている人たちが、

なぜ旅行者を騙し、少しでも多くの金を巻き上げようとするのか。

インドでは、詐欺や盗難が絶えない。


もちろん、そうせざるを得ないという貧困という背景があるのかもしれないけど、

それでも納得いかない。


例えば、火葬場のすぐすぐ隣で、旅行客に薪代や死者への寄付金と

称して、金を騙し取る人たちがたくさんいる。

火葬場という神聖な場所のすぐ隣で、

なぜこうした悪戯に走れるのか。

ガンジス川で罪を浄めるために、沐浴するのなら、

そもそもなぜ、人を騙し金を奪おうとするのか。


インドのすべては見てないし、まだなんともいえないのだけれど、

俺は納得行かない。


そして、毎日何回もトイレットペーパーをもって

トイレに駆けつけなくてはいけないのも、なんか納得いかない 笑



今日の夜行列車で12時間かけて、

アグラという街に行きます。


いよいよ、 タージ マハル だ。

カルカッタ2日目。

相変わらず蒸し暑い。
汗が止まらない。

今日は、ヒンドゥー教の寺院に行って来た。
カーリー寺院という名所で、破壊と血を好むカーリー神を祭った場所だ。

境内では、この神様に捧げる生贄としてやぎの首がはねられる。
そのやぎの肉を、貧しい人に分け与えるらしい。
今は、ヒンドゥー教の祭りがあるらしく、
自分の家畜のやぎを、この神様に捧げるために、
インド中から人が集まっているらしい。

やぎの生贄を見てきた。
凄まじい光景だった。

やぎの首をギロチンのようなものに固定し、
斧を一気に振り下ろす。
頭が落ち、血が飛び散り、やぎは即死する。

台に固定されるまで 「めー、めー」 と鳴いていたやぎが一瞬にして
死んでしまう。

生命が、一瞬にして奪われる。
斧の一振りで。
そんな光景は初めて見たから、なんとも説明しようがない
気持ちになった。

インドでは、「生と死」 を間近に感じる とよく聞くが、
今日は 「死」 をとても間近に感じてきた。

この先はなにを見るのだろう?

今夜の夜行列車で、バナラスに行きます。
ガンジス川を見てきます。


無事にインド東部の街、カルカッタへ着きました。

バンコクでトランジットして、カルカッタ空港に到着したのが、深夜。

前半の旅で慣れたとはいえ、最初の国はやはり不安もある。
それも、いきなり、深夜だとなおさら。

真夜中のカルカッタは、不気味な雰囲気だ。
市内へは、タクシーで行く手段しかなかったのだが、
一人で行く勇気がなく、(笑) 同じフライトだったドイツ人とスウェーデン人
に声をかけ、3人で行くことに。

安宿街に着いたはいいが、宿を探すのに一苦労。
なんせ、みんな寝てますから。

安宿をひとつひとつあたっていった。
カルカッタは、とにかく乞食が多い。
路上で寝ている人がたくさんいる。
こっちをチラチラ見てくる。
怖ぇー。

やっと空いている宿を見つけ、今はそのスウェーデン人の金髪美女と
ルームをシェアしています☆
女性なのに、初対面の外国人とよく部屋をシェアできるなと
こっちが感心させられる。 きっと相手にされていないんでしょう・・・・笑

インドは、ホントにクレイジーな場所だ。

空港からのTAXIの運転に、まずはびっくりした。
中国の運転も狂っているなと思ったけど、
ここインドはその比じゃない。

片手運転で時速80kmくらい出しながら、
車間距離は2mくらい。

クラクション鳴らしまくりながら、車をどんどん追い抜いていく。
時には、反対車線に飛び出しながら。
反対側からトラックがきているにもかかわらず。
そして、直前で交わしていく。
これですっかり眠気も覚めた。

運転手に 「カルカッタは初めてか?」 と聞かれ、

なめられて吹っかけられたら困ると思い、
はったりをかます。

「いや、5度目だな」

ちょっと 5 は 言い過ぎたな・・・

「カルカッタのどこがそんなに好きなんだ?」 と運転手はうれしそうに聞いてくる。

そりゃ5回も来てたら聞くわ


「まぁ、なんていうか、全部だな」  と、 いかにも嘘っぽい&しったかな答えをした。 笑

運転手は、嬉しそうに俺に
握手を求めてきた。@ 時速80km、車間距離 2m
 
運転に集中してくれ、頼む。



今日の午後はカルカッタを歩き回った。
この国はなんでも あり。

傾いたバスが走っているは、
路上でウンコしている人はいるは、
みんな値段は吹っかけてくるは、
路上で裸で寝ている人がいるは、

なんでもOK。

これから2週間から3週間インドにいる予定だけど、
どこまで耐えられるかな?!

後半の旅もできるだけ頻繁に記事を書いていきます。
みんなコメントしてね!!





今日、夕方の便で、インドのコルカタへ飛びます。


後半の一人旅の始まりです。


今回は、


インド


パキスタン  (今回の地震で、行けなさそう。)


イラン


シリア


ヨルダン


トルコ


と行く予定です。


東アジアに比べて、仏教がイスラム教へ変わり、

顔もどんどん濃くなっていく。


前半の旅以上に、異国にいる感じがあるに違いない。


楽しみだ☆



後半の旅もブログを更新していくつもりです。

みなさん、ぜひコメントしてください!!


それでは、行ってきます!!


いつも準備は直前になってから・・・・

時間がないので、この記事も手抜きです m( _ _ )m

後半の旅の出発まで、あと2日。

前半の旅で書いていた日記を読み返していた。


食糧問題・・・・ 

何度もこのテーマについて真剣に考えさせられていた。


どの国でも遭遇した物乞いの人たち。

カンボジア、ネパール、ラオス、中国、チベットでは特に、

「何か食べものをくれ」 という物乞いに何回も遭遇した。

それは時には、老人であったり、子供であったり。

あるいは足や腕がない人たちであったり。


現在、世界では約8~10億人の飢餓人口がいるといわれています。

日本の人口の約6~8倍の人が栄養失調、あるいは飢餓しているという計算になる。

一方で、先進国では、飽食状態。

毎日何トンもの「残飯」が捨てられています。


ちなみに、世界で生産される食料をすべて均等に全地球人に

分配すると、飢餓する人はいなくなります。


要するに、世界には、世界の人が全員満足に食べていける程の

食料がすでにある、ということになります。

別に、食料の絶対量が足りない訳ではないんです。


先進国に「多く分配」されるため、貧困国では「不足」が生じるわけです。


日本。

食料の自給率低下が懸念され、よく話題に上ります。

でもあまり話題にならないのは、日本が世界屈指の「残飯国」であること。

日本は毎年、家庭や飲食店やコンビに等を合わせて、

約1000万トンの残飯を出します。

これは、金額にすると、数兆円もの価値の食料を捨てていることになります。


これは、計算すると、、、


金額ベースでは、4食に1食

カロリーベースでは、3食に1食

を捨てていることになります。


ちなみに、この残飯量は、農林水産業の年間生産量とほぼ等しいのです。


自給率が低下していると心配しているこの国は、

自国で生産する量と同じ量の食べ物を捨てているのです。


それに、心配されている自給率も、この残飯がなくなれば、

40%から56%へと改善される計算なんです。


この事実を聞いたカンボジアの子供や、

中国やチベットの貧民たちは、一体なんて思うだろう?


「何で、捨てるの?」

「捨てるなら、ください」


そういった静かな悲鳴も虚しく、

銀座の寿司屋では、乞食が寄らないようにと、残飯には洗剤がぶっ掛けられ、

コンビニの弁当は恐ろしい勢いで破棄されるのです。


そういう自分も、たまにご飯を残してしまうわけで・・・




物乞いで思い出したが、

貧しい国では、親が子供に物乞いをさせる国があまりにも多い。

子供のほうが、同情を買いやすいからだ。

義務教育を受ける機会がある場合でさえも、

子供に物乞いをさせる親が多いらしい。

そこには、教育=投資 という考えはない。

毎日の食べ物を得るのに必死だからだ。


そういう環境でも、

教育を信じ、それに励む人にも多く会った。

たとえば、ラオスで友達になったエア君。

彼は、昼間は働きまくって、夜は夜間学校に勉強しに行く。


教育を受けることは、将来の生活に直接結びつく切実な問題なのだ。

学校で得た知識や技術をそのままお金を得る手段に適用するからだ。

ここでは、まさに教育=投資だ。


一方で、日本の場合、

「教育=投資」という方程式は、

「学歴社会」という前提の上にしか成り立っていない。

教育を受けることは、すなわち学歴を積んでいくことになっている。

そこには、生活がそれによって完全に左右されるという切実さや、必死さは感じられない。


あらゆるものを犠牲にしながら、

必死の思いで教育を受けているエア君。

一方で、日本の大学生の多くは、今日も居酒屋へと飲みに行き、

「何を勉強するか」というよりも、「どうやって単位を取得するか」

と考えている。もちろん自分も棚上げにはできない。



豊か過ぎて、何か大切なものが忘れかけられている気がする。



そして、こんなに豊かな国なのに、

「自分は、幸せなのかな?」

と自問する人たちがたくさんいることにも驚かされる。


旅で貧しい人たちを目の当たりにしてきて思うこと。


それは、「自分は、幸せなのかな?」と自問できる時点で、

その人は十分に幸せなんだということ。